世界のどこにいようが別に誰も気にしない
今更ながらあけましておめでとうございます。今年は少しは書いたりすることもしていけるようだといいなあととりあえず久々に更新。
さて、そんなわけで正月休みに、この世界の片隅にを見て来ました。
まあ内容に関しては他にいくらでも書いている人がいると思われるのでそちらにお任せすることにして。
酉年の今年48歳になる年男は、多感な中二〜中三の頃にブルーハーツを聞いていた。知ってる人も多いかと思うが、ブルーハーツの曲に「世界の真ん中」という曲がある。
朝の光が待てなくて
眠れない夜もあった
朝の光が待てなくて
間違ったこともやった
僕が生まれたところが
世界の片隅なのか
誰の上にだって
お日様はのぼるんだ
川の流れの激しさに
足元が震えている
燃える炎の厳しさに
足元が震えている
僕が今見ているのが
世界の片隅なのか
いくら探したって
そんなところはない
うまくいかないとき
死にたい時もある
世界の真ん中で
生きていくためには
生きるということに
命をかけてみたい
歴史が始まる前
人はケダモノだった
改めて今見るとすげえわな、これ。
さて、この世界の片隅にというタイトルを聞いた時にこの歌詞の中の世界の片隅というキーワード繋がりで思い出した人はそこそこはいるんじゃないかと。
世界の真ん中はブルーハーツの曲の中でも大好きな一曲ではあるのだが、どうしてもサブストリームに流れがちな自分としては常に世界の片隅側から世界の真ん中を羨んで見ているようなところがあるため、ある意味コンプレックス直撃ソングでもある。
この世界の片隅には確かに戦時中を描いた作品としては世界の片隅に視点を置いているのかもしれない。まあそれじゃドンパチ本気でやってる最前線が世界の真ん中なのか、それとも作戦司令部のような所が真ん中なのかと問われると果たしてそうなのかは俺にもわからないが。
結局はモブキャラにも五分の魂というところを突き詰めたところなのかもなあと。すずが主役然としてるかというと決して常にそんなことはないわけで。
さらに言えば所謂日常系アニメもなんでもない日常を描くといいつつも常に細かな事件は起きるものだ。いや事件というと大ごとに感じるが、何も起きてない回というのは日常系アニメでもそうはない。(ほんとに細かいことも含めね、知ってる範囲でだけどw)
いや、多分誤解だとは思うんだけど、アンチ日常系アニメという感想をこの世界の片隅にに抱いたのはどうなのか。
日常系アニメにおいては外部の状況はファンタジー的な世界観と同じで大して変化なく進行する。あくまで物理的な世界観の話においてね。
冒頭からそのルールで進行したこの作品は戦争の進行とともにいろんなものが崩れ去っていく。
しかしながら崩れ去っていくことで主役然とした態度になれることでもあるのだろう。乱暴かもしれないが。
片隅にいようが真ん中にいようが、当たり前に信じていた世界という足元がいとも簡単に崩れ去る作品が人気を得ているのは、やはり共有する無意識の中に危機感を感じているのかもなあと。
「ひどいよ。こんなのってないよ。」
世界の崩壊といえばレイアースのそんなセリフを思い出すが、こんなのってない時代からこんなこともあるんだなあという時代になってしまったのだろうなあ。311以降というのは。
世界の片隅でモブキャラとして生きるのもきっと楽じゃない。